祓う(払う)しかできない。2013/02/01 12:28

節分の集い
 今日は節分の集いでした。今年は例年と違い、年長さんにも鬼が来たようです!全学年、元気に豆を撒いて鬼を追い払いました。その後ホールで集い。私も話していて、ふと気づきました。

 鬼を払うことはできても、絶滅させること・斃すことはできない。

 昔の考え方では、鬼は大晦=一年中の歪みが全て集まる=の象徴だった訳ですから、嫌でも応でも必ず来るのです(だから、翌日が立春なのです)。大晦日がなければ新年が来ないように、鬼がなければ福もない、という事を現していると思うのです。
 子ども達にも話しました。「意地悪や泣き虫や、いろんな鬼を追い払ったんだね。だからみんな、こんな元気な挨拶なんだ!」そう、滅ぼした訳ではないので、きっとまた元気を失ったりする日は来ることでしょう。しかし、「滅した・もう来ない」と慢心してしまうのではなく、「追い払っただけ。また来るかも知れない」と思って自制してゆく姿勢が大切なのではないか、と考えています。
 行事は年に一度きり。しかし、それを契機にして日常を見直す。それがイイトコロではないかと、と思います。

所かわれば2013/02/05 11:52

舞台にハンドベルを置く…慎重に
 お遊戯会の練習を段階づけるものとして、「ホールでやってみる」というのがありますが、今週は各学年、その機会が多くなります。子ども達が当日に向けて期待を膨らませていくため、確実にエネルギーになるのが「明らかな変化」です。劇の小道具を見たり持ったり・当日用の衣装を見たり着てみたり(年少さんも、お母さん方も楽しそうでしたね)。そして、「ホールの舞台に立つ」というのも、大きな、そして明らかな一歩です。
 演技や演奏を見ている側からすると、細かい所で子ども達が成長しているのがよく見えるのですが、案外本人からは実感できていない事も多いようです。しかし、先に挙げたような「明らかな一歩」は、子ども達にもよく分かるのです。だからエネルギーになります。
 しかし、段階を上げることはハードルをあげることにも繋がっています。ホールへ行くと空間が広いので、やや落ち着かなくなるのは全学年同じ。見えている風景が変わるので、自分の立ち位置に迷う子も出てきます。ピアノが遠くなって、テンポが取りにくくなったりすることもあります。
 世の中、美味しいところだけ取る訳にはいかない。大袈裟ですが、それを実体験するのが「段階をあげる」なのかも知れません。深く潜って、そこから浮き上がって来た分、子ども達は自信を持って演技できることと思います。

気になるなぁ!2013/02/07 11:26

のぞき込む。みんな順番でね。
 年中組さん、今日の主活動は「チーズケーキ作り」です。朝からエプロンをして張り切って材料を混ぜていました。そして、オーブンの中の様子に興味津々。先生が「膨らんでくるよ」と声を掛けると、うんうんと嬉しそうに頷いていました。
 焼き上がるのはオーブンと先生にお任せするのですが、「自分達が関わった」というのはやはり大きな意味を持っています。どうなるのかな?おいしくできるのかな?当たり前ですが拘りを持って行方を見守っています。
 人間誰しもそうですが、「自分の関わったもの」には(仏教的に言うと)執着が生まれます。それが人間の努力の元になったりするのですが、同時に私たちを振り回してしまうこともあります。「自分の言ったこと」つまり過去の自分に執着することを一貫性とか責任とか評価して、時には頑なになったりさえします。
 しかし、物事は何でも変わっていきます。ケーキも食べてしまえばおしまいですし、食べなかったら意味がありません。拘って作ったからと言って、食べないでいたら腐ってしまいます。そう、物事は消化し客観視してゆくのが執着から離れる道なのだろうと思います。「ああ、僕はあそこに執着していたんだな。」それが分かると、心に落ち着きが出てくるのですから、人間というものはよくできたものですね。

視線の先は2013/02/13 11:22

石巻の復興マルシェにて
 この一週間は、たんぽぽぐみさんで、「子どもの様子、生中継」をしていました(初めての試みです)。子どもの姿、先生の姿含めて、そのままを観察して頂こうをいうものです。
 私はカメラ係として、なるべく全員を撮るべく動いていましたが、時折「じゃあ、お母さんによく見えるように、園長先生のカメラに向かって見せてごらん」という声がかかりました。私は子ども達の目線近く、大人で言うとお腹ぐらいの高さでカメラを構えていました。
 子どもが寄ってきます。モニターを見ると、「あ、上目遣い」とすぐ気づきました。子ども達は、カメラのレンズではなく、それを持っている私の顔に視線を向けて、「見て!」と言っていたのです。
 子どもが見せたい相手はお母さん。これは間違いないでしょう。しかし、現実に見えているのはビデオカメラのレンズと園長の顔。思いを伝えたい時見るのは…やはり顔の方でしょう。
 2001年宇宙の旅では、たしかコンピュータがレンズ越しに乗組員を見ているシーンがありましたが、それはSFだけのお話。子どもにとっては、目もあり口もあり頭もある、人の顔に向かっていくのが、やはり自然というものです。そして、「受け取って貰った」と感じた子から席に戻っていきます。それは私が「うん、できたね!」等と反応したからだろうと思います。
 今週末のお遊戯会。子ども達に「見てもらった!喜んでもらった!」という実感を与えてあげられるのは、お客様方です。その事で子ども達が自分に自信をもち、また一歩世界を広げられますように。そんな「子ども達のため」のお遊戯会である事を、頭の片隅に置いてお越し戴けると幸いです。

総練習が終わって2013/02/15 12:26

年中組の練習の様子
 昨日・今日とお遊戯会の総練習があり、子ども達は衣装をつけて舞台の上で歌ったり踊ったり演奏したりと、「見て頂く」準備を整えました。特に年長組さんは思いもひとしお(それが伝わってくるから不思議です)で、「練習、やりきったぞ!」という満足感と共に、明日への期待も顔ににじませていました。
 子どもの演じ方は様々です。自分で歌を口ずさみながら、出番になると構えて鳴らす子。ピアノの音を聞き分けようと耳を澄ます子。手話で、友達の動きを一瞬も見逃すまいと懸命になっている子。やり方は違いますが、「周りの子たちと心を一つにして、曲を演奏しよう」という気持ちは全く同じだと思います。
 いよいよ明日が本番です。どうぞ沢山の笑顔と、沢山の拍手の生まれる一日になりますように。

どれでも踊れる!2013/02/19 14:28

 先週のお遊戯会を経て、子ども達はまた一段、自信を持った生活を送り始めています。今日は年少組のクラス会で、年度末ということもあり結構待ち時間があるのですが、子ども達は「お遊戯会ごっこ」を行っていました。
 お遊戯会が終わってすぐ、担任から「全曲を一枚のCDにしてほしい」旨の話があり、作っておいたのですが、早速それを使ってホールで踊っているのでした。「自分の曲!」と思って前に出てくる子もいれば、それと向かい合いながら一緒に踊っている子もたくさんいました。そう、練習を一生懸命見ている間に、きっとみんな「どの曲でも踊れるよ!」になってしまったのでしょう。
 ですから、ある意味この「ごっこ」が、子ども達の創造性・可能性なのではないかと思います。学年によっては「先生役」の子どもも出てきたりして…。「本番」で終わりではなく、消化され子ども達なりにアレンジされていきながら、踊りも物語も続いていくのだろうと思います。その時はきっと、「先生・子ども」という区別もないんでしょうね。

日常が戻って2013/02/20 09:59

あっという間に子どもが入ってしまいました
 先週末は、お遊戯会へ多くの方にお出かけいただき、本当にありがとうございました。子ども達は沢山の拍手をいただき、お誉めの言葉をいただき、自分が認められていることを実感したと思います。行事を通じて成長するというのは、あからさまに「成し遂げた」事が自他共に認められるからなのでしょう。
 そして、週が明けて幼稚園の「日常」が戻ってきました。今朝は暖かいこともあり、子ども達の声が園庭に響き、私の席の近くには「転んじゃった」と手当てして貰う子どもがポツポツやってきます。そう、幼稚園の日常は賑やかなものなのです。走り回ったり、木の実を拾ったり、鉄棒に取り付いたり。思い思いに体を動かす中で、いわば一日のウォーミングアップをしているのでしょう。この「動」の時間を経てこそ、「お集まり=静」そして「切り替えのつけられる子」になっていくのだと思います。
 3学期・学年も残り少なくなってきましたが、「このメンバー・このポジション」での生活を、それぞれ楽しんでいって欲しいと思います。

最後までやりますよ…2013/02/21 14:43

ありがとう!
 年長さん、今日はロールケーキ作りに挑戦していました。いくつものグループに分かれ、生地を作り準備から試食までを楽しみました。そして!後片付けもしっかりできました。先生がボウルを洗っていると「何かお手伝いありますか〜」と、その言い方に慣れている!女の子がやってきて、最後に机を拭き、スポンジを絞るところまでお手伝いしてくれました。
 「作る・食べる」まではイベントですが、「片付けする」まで行くのは「生活に繋がる学び」なのだろうと思います。「○○ザ○○」ではどこまで「子ども自身で」行っているのか知りませんが、「お買い物〜ゴミ捨て」まで経験できると、「お母さんと同じだけ、できた!」と胸を張って言えるのだろうと思います。
 年によって、つまり人数とか配置によって可能なメニューは変わってくるのですが、この「調理実習」は続けていきたいと思います。

他愛ない時間の大切さ2013/02/26 22:55

ああ、楽しかった
 今日はお別れ園外保育でした。会場を移してから3年になりますが、一番よいお天気で、風もなく穏やかに過ごすことができました。保護者の方からも「よい一日でした」とのお声をいただきましたが、これは天気ばかりではないと思います。
 場所を移した時に、コンセプトも「親子で楽しむ一日」に方向転換しました。それまでは保護者の方は「お待ち頂く」形だったのですが、移動などはあるにせよ、一緒に楽しんで頂こうという事です。やっていたのはデカパン競争とか、長縄跳びとか、他愛もない事だったかも知れません。しかし子ども達は「お母さんと一緒」であるその一点だけで、十分幸せに過ごすことができた、それをお母さん方も見ていただけたのではないかと思います。
 幼稚園に入ると、確かに「友達と、先生と…」と、保護者の方と直接遊ぶ機会は減ると思います。しかし、こんな機会に改めて「親子で遊ぶって、楽しいなぁ!」と双方感じて下さったら、こんなに有り難いことはありません。私ですら、父がキャッチボールをしてくれた事はいまだに覚えています。願わくば、今日の遊びが、今日のアーチが、いつまでも子ども達の心に残ってくれますように。「卒園おめでとう。また幼稚園に遊びに来てね」そんなメッセージと共に。

細かい所までよく見てね2013/02/27 11:45

集いの後で見に来ました!
今日は寒い雨が降り、改めて「園外保育に行かれて良かった〜」と思いました。そして室内では「雛祭りの集い」。行事の名前を私が見せる前に読んで(呼んで)くれるのも、すっかり定番になりました。何日か前から幼稚園でも飾ってありますが、細かく見ていくと結構いろんな事が分かります。
 お人形達の名前(役職)は、教諭全員が知っています。ですから司会をする職員(と園長)は何か「それ以上」の話をしようと(密かに)考えて、色々調べたりしているのです。例えば、三人官女は一人だけ眉毛がないんですって。あと、お掃除の方(三仕丁)の表情って、一人ずつ違うんですって。何ででしょう?分からないですけれど…。
 お人形もたくさんいますけれど、細かく表現されていること、そして「お決まりになっている」ということは、何らかの背景というかストーリーがある筈です。出すのも大変、片付けるのも大変ではありますが、せっかく出したのであれば一人一人をじっくり見ていただいて、各々のストーリーに思いを馳せて色々話すのも、楽しいのではないでしょうか。