キーワードは同じ2013/05/20 14:23

吾 ただ足るを知る
 今日は、第2回の「子育てカレッジ」が開催されました。小さい子たちは園内で一旦お預かりし、有志のお母さん方に、子育ての知恵を学んでいただこうというものです。講師は吉田恭子先生。テーマは「夫婦のはなし」というもので、「(あらゆる意味で)ひとりで子育てしない事の意味や意義(歴史を重ねて来た中での合理性とか含めて)」をお話いただいたようです。人類が発生してから、いろんな環境の中で生き延びるために身に付けてきた、まさに命がけの知恵なのだろうと思います。
 私は講座修了後、振り返りに混ぜて貰っただけなのですが、「寛容さ」がキーワードだったのが印象的でした。というのは、先週の大年先生の研修会(月に1回行っているのです)でも、「寛容さ」が挙がっていたからです。「思い通りにならない人生・世の中」という出発点から考える。「便利」というのは「思い通り」に近づく道ですけれど、完全な「思い通り」はあり得ない。「ま、いっか。それも、ありだな。」そんな知恵が時に必要なのだろうと思います。

同じ言葉に2度出会う2013/01/26 20:22

 今日は、芝学園主催のシンポジウムと、その後久しぶりに銀座で映画を見ました。そして、同じ(内容の)セリフに2度出会い、印象的だったので書きたいと思います。
 シンポジウムは「いのち」をテーマにしたもので、大震災後、現地でいろいろ活動してきた方が「理不尽な死というのは、結局関係性の如何によるのではないか。”さようなら”を言わずに別れたというのが、状況よりも大きく作用しているのでは」ということを発言していました。まったく左様。小さな挨拶やありがとうは、実は大きな意味合いを持っているのだと思います。
 そして、映画「ライフ・オブ・パイ」でも同じセリフが出てきました。こちらは海で遭難して、主人公(と虎)が生き延びるのですが、回顧している場面で、「さよならを言わずに別れたのが心残り」と言っていたのです!
 私たちは厳密に言って、明日の生命は誰からも保障されていません。であれば、それを受けて行うべきことがあるのではないでしょうか。夜に眠る前の「お休み」、もちろん「さようなら」。そうして一日の区切りを付けることで、次の朝を迎えられた喜びも生まれてくるのかも知れません。何度か書いた「森信三」先生は、これを「人生2度なし、これを据え付けることこそ教育だ」と表現しておられます。
 このブログ、何人の方がお読み下さっているかは分かりませんが、「お休みなさい。今日一日お疲れ様でした」を、私から改めてお伝えしたいと思います。

吹き出しを付ける2013/01/25 11:25

体操の様子
 先日の教諭研修会であったお話です。講師の先生は「虫の目・鳥の目」という譬えを使って話していらっしゃいましたが、子どもを見る時には「共感の目」と「客観の目」、両方が要りますよというお話だったと理解しました。
 このうち「虫の目」は「ごくごく近くで、丸のまま一緒に感じる・受け取る」見方。「子どもの写真をとって、ぴったりのセリフを付ける」感覚とおっしゃっていました。子どもですから語彙は十分でないかも知れません。けれど、何かをしている姿は、子どもの内面を現しています。そこにセリフ=言葉による共感、を付けられるようになりましょう、という事です。
 一方は、もっと引いた、客観的な見方。「それは、このような流れの中(発達の段階)にあるんだな」とか「集団の中で、このような位置・作用でいるんだな」という見方です。
 それを聞いていて、思いました。「大切なのは、例えば”演奏できた・間違えた”という客観的な見方なのか、それとも”やりきった!”・”悔しいな”という感情なのか?」 もちろん同時に訪れていることも多いと思いますが、そして、時によって重点を変えて良いのだと思いますが、「子どもにとっての満足感を見る」ことは、少なくとも忘れてはならないのだということです。
 思い出すのは体操参観です。一つの技に挑戦し、終わる。「お母さん、見ててくれた?」と保護者の方を見ます。そこでニッコリ応えてあげることが大切なのだということです。「子どもが、できたか・できないか・クラスや学年の中でどの程度なのか?」それはもちろん無視するものではありません。しかし、お母さんは測定しに来るというよりも、応援し励ましに来て下さっているのが主だろうと思います。それを存分に発揮していただきたいと思います。
 時には「我が子の不甲斐なさ」を見てしまうこともあるかも知れません。しかし、そこに目を背けず「では、どうするか」を一緒になって考え、励ましていく。「お母さんが付いていてくれる」という記憶は、きっと子どもの将来を支えてくれると思うのです。

先生の研修会にて2013/01/23 21:56

大棗の会
 1月のこの週、水曜日の午後は、文京区の私立幼稚園合同で研修会が開かれています。会場はここ数年、伝通院さんの淑徳SC。とても綺麗な校舎とバッチリな設備で、「お話だけ」でない研修が行われます。
 今回は2部構成で、第1部は「効果的な園内研修の持ち方」、活かすのには時間がかかる(でも大事なこと…)のですが、第2部の「胴体トレーニング」は、ヨガにも通じ?立腰にも通じ(というか、そのもの?)楽しかったです。体育館にバスタオルやマットをしいて、みんなでゴロゴロしたりストレッチのように身体を伸ばしたり。
 先生曰く、「骨盤の位置が悪いと肩こりを初めいろんな歪みが出る。正しい位置で生活すると、瘠せてもいきますよ」との事で、みんな一生懸命でした。「正座はいいです。胡座もいいです。でも横座りは、特に子どものころは厳禁。よく気をつけてあげて下さいね」とのお話でした。幼稚園で、毎日の「立腰」は1分確保していますが、これが本当に一生の屋台骨になってくれたら、とても有り難い事と思います。

参考「大棗の会」 棗田三奈子先生

聴かせてやるのが教育なら、2013/01/19 09:33

倉橋惣三

 今日はお誕生日会です。先日考えていたことなのですが、「折角お父さんも大勢いらっしゃるのだから、何か役に立つ事でもお伝えできないかしら」と考えていました。いつかブログで書いた「家族の問題」もいい材料と思ったのですが、この間読んだ「倉橋惣三」も示唆に富んだ素晴らしい本でした。  さて、その中の一節が、このタイトルです。続きは?想像に難くないですね(惣三なだけに)。  「聴かせてやるのが教育なら、聴いてやるのも教育です」(『子どもの心とまなざしで』フレーベル館) 私たちは大人として、親として、教育者でございますと、ついつい「如何に聴かせるか」「如何に話すか」ばかりに心を向けてしまいがちではないでしょうか。しかし、もしかすると「如何に聴くか」は、それ以上に大切な事かも知れません。それは、「聴き方・聴く態度」を子どもに写していくことでもあるからです。子どもにとって「自分の話をしっかり聴いてくれた」という感覚は、共感となって大人への信頼感や安心感に繋がっていくでしょう。  勿論、何でも子ども主体にすればいいとも思いません(彼らは社会の初心者なのですから)。しかし、どちらにも偏ることなく(仏教でいう中道ですね)、両方向ともに大切なのだということを忘れず、時にしっかりと聴く=14もの心を持って耳を向ける=ことを心がけたいものです。思いがけない「面白い」話に出会えますよ、きっと。

安全に暮らせる…子に育てたい2012/11/19 12:20

体験型安全教育支援機構
 文京区私立幼稚園PTA連合会の講演会が開かれ、私も拝聴してきました。テーマが「犯罪からの安全教育」ということで、幼稚園でも「対 災害」だけでなく「交通安全・不審者対応」として近年避難訓練しているテーマです。
 幼稚園にも時々、不安を煽る→購入をもちかける、式の電話があったりしますので、いたずらに煽る話だったら困るなぁと勝手に思いながら出かけました。
 「1年間で、3%の園が”ヒヤッとした”経験がある」とかいうお話もあったりして、それこそヒヤッとしたのですが、幼稚園は基本的に保護者と一緒ですから数も可能性もとても低いです。むしろ「小学校に上がりたて」の時期、被害に遭う子が多くなるという方に重心を置かれていましたが、「自分で行動する」という前提に立って身を守るポイントを話していらっしゃったのは、大変重要と思いました。つまり、幼稚園時代の「親と一緒=絶対安全・安心」から「一人で歩いたり行動する=大丈夫?」という落差を、ソフトに離陸させるべく考えなければいけないと思うのです。
 幼稚園時代から、先を見据えた経験をさせてあげることはできます。それは何より、自分の足で歩き、周りをよく見ることです。先代園長は「花一輪が咲いたことに気づく子どもであって欲しい」とよく言っていましたが、それはお母さんと一緒に、ゆったりした気持ちで歩いている子にこそ可能なことではないでしょうか。また、それが(やや残念でもあるのですが)日頃と異なる「危険の芽」に気づくことにも繋がるような気がします。
 講師の先生は、ご多忙な方ではありますが、文京区在住ということもあり、今後も何かご指導いただける機会を作った方がいいかな、と考えています。

ほめ方3則2012/11/12 12:28

 先日、先生方が受けていた研修の一部ですが、「おおっ、これはイイコトを言っている!」と思ったので抜粋します。それは、「ほめ方のポイント」です(ベースは「行動分析」という学問)。
 まずタイミング。①望ましい行動の直後にほめる。これは1分以内がよいとされています、因みに。「これはいいな、またやろう」という経験(強化)になるかどうかは、この辺りがドンピシャのタイミングのようです。
 ②今までより、少しでもよい行動をしようとしている時(した時)にほめる。これは、普段から子どもの近くにいて見ていれば分かることが多いですね。ただ、①「すぐに」と「後でほめる」は、確かに効果が違います。
 ③してほしくない行動をしていない時(トラブルなく遊んでいる、など)にほめる。これは、なかなか難しいですね。きっかけが掴みにくいですし、あまり気に留めないからです。
 ということは!③ができるかどうかが、きっと「誉めるタイミング」の肝なのだろうと思います。

だから粘土なのか!?2012/11/11 20:02

 今日は午前中は小石川マルシェにちょっと顔を出し、午後は佐倉の「歴民博」=歴史民俗博物館へ行ってきました。たしか中学生の時以来ですから30年ぶりというところでしょうか。いやー楽しいですね。ボタンを押すのも好きなんですが、見るのも大好きです。まずはお約束で縄文式土器から始まるのですが、ずーっと見ていって室町頃に、やはり土器が展示されているのです。
「んんっ?」ふと思いました。縄文時代は今から約16,000年前です。それから恐らく15,000年位は、日本人だれもが土器を作っていたのではないでしょうか。確かに色んな造形があったり、薄手になったり、釉薬が開発されていったりと変化しているのですが、私たちの祖先は多分、粘土をこねて道具を作り、それで生活していたのでありましょう。
 だから、「幼児が粘土遊びをすると落ち着く姿が見られる」のではないでしょうか。「お母さんの心音を聞くと落ち着く」に似た感じで。「常識!」なのかも知れませんが、気づいたのが嬉しく、書き込みさせていただきます。

のぼうの城(ネタ含む)2012/11/05 11:15

 いつの間に公開していたのかしら?と思ったこの映画。実は2日からだったのですね。私(園長)はこの週末に見て参りました。イヤ面白かったです。対象はもちろん小学生程度から、特に男子に好まれる(戦記ものですからね。ただし首がぽーんと飛んだり、津波洪水を彷彿させるシーンがあります。)と思いますが、大人が見ても十分楽しめると思います。
 で、のぼう様と石田三成の戦いなのですが、実は日本の戦い方が描かれていると感じました。西洋型は石田三成ですな。
 きっと、石原莞爾の事をご存じの方であれば、「ああ」とご同意いただけるのではないかと思います。圧倒的な兵力・物量・金をもった石田方に、どう対していくか。これは日本人が知っているべき、日本人だからできる戦術ではないかなぁと、頻りに感心いたしました。
 「大事なのは、楽しく平穏に暮らすこと」。それを画餅にしない力が、リーダーには必要なのだと思いました。

25年度向け入園考査2012/11/03 11:37

 1日の出願、2日の考査を経て、昨晩結果を郵送いたしました。今は文京区全体で子どもの人数が増えていることもあって、当幼稚園でも多くの方の出願がありました。1日の晩は、例年のように家庭調べをじっくり読ませていただきましたが、親御さんたちが子どものことを大切に思い、「どういう子どもに育って欲しいか」改めて考えて下さった、その痕跡を見ることができました。
 また、2日はこちらからの一方的な時間指定に関わらず、家族みなさんで調整して下さった方、おじいちゃん・おばあちゃんにもお力をお借りした方も多くいらしたようで、、子どもたち・子育て家庭に関わるという、事の重大さを改めて感じました。
 改めまして、当園にご関心を寄せて下さった皆様に、御礼申し上げます。ありがとうございました。