科学の説明 ― 2012/06/04 19:34
1日が創立記念日だったので、この週末は3連休になりました。久しぶりにお台場へ出かけたのですが、日本科学未来館の「世界のおわりのものがたり」展(19日まで)は、なかなか見応えがあり、考えさせられました。たくさんの「正解のない問い」が問いかけられていたのですが、「死はいつから、何のために始まったのか」の説明は非常に興味深かったです。つまり。生命が誕生して暫くは、単細胞生物が自らのコピーをしながら「命を長らえて」きました。しかし、環境の変化に対応するには、いつまでも同じ遺伝子では不利です。そこで有性生殖が始まる(というか、有利になる)のですが、それに伴って「同一の(一意の、ユニークな)遺伝子を持った生命」に誕生と死ができた、というのです。なるほど!進化(環境への対応)のために、死が必要だったのですね。この「死が必要」という考え方は何となく覚えがあって、「人間の体の中には老化するしくみ、ガンが発生するしくみがある=死に向かう要素を内ながら持っている」というのはそういうことで、つまり「死がプログラミングされている」ということなのだ、と感心したのを覚えています。◎話は飛ぶようですが、今私が関心を寄せているのは、ここ20年ばかりの「自己責任論」です。現代の子育てのキツさは、ここから来ているのではないか、つまり対策もそこを改善しなければならないのでは、と考えているのです。◎なるほど私たちは、かなりの部分を自ら選択し、責任を負うという形で世の中を生きています。しかし、お釈迦様も仰ったように「生まれてくること、老いていくこと、死んでいくこと」は自己責任(思い通りになること)ではありません。自らの選択や責任で生まれてきたのではない我々が、やれ選択だ責任だと言っても、まったく覚束ないもののように思えるのです。そして、責任や結果をもっと分け合う発想が必要なのではないかと思うのです。◎この辺り、子育てにあっては「私が一人で産んだんじゃない」というセリフが昔からありますが、こういった真実をもっと大切にしなければならないのではないでしょうか。続く。
雨の日も 賑やかに ― 2012/06/06 11:58
今日は雨の中で登園になりました。主活動の前、子ども達はホールで体操器具を出して遊べたようです。普段の体操時間では、自ずと一人にかけられる時間が限られてしまうのですが、今日のような機会では、本人にとことん付き合うことも可能です。年中さんがトライしている「足抜き回り」は、足をかなり持ち上げるので、日常の経験ではなかなかできないものです。先生とマンツーマンで頑張っている姿が印象的でした。また、大きなマットを出して飛び出し?投げ出し?してもらっている子もいました。きっとお家ではできないけれど、確実に子どもにとって楽しい環境を提供できたと思います。願わくば、体操の時にみんなの前で実技して、拍手をもらえるといいですね。
途中経過…ごめん! ― 2012/06/07 14:41

年長さんの植えたジャガイモが、かなり伸びてきました。そうなると心配なのは地面の下です。以前サツマイモを植えたとき、蔓ボケ状態になってしまいガッカリ…という事があったので、興味半分・心配半分で1株掘ってみました。すると!小さいですが新ジャガができていました。私も初めて見ましたが、「これが大きくなるんだなぁ」と感慨深いものがありました。早速子ども達と一緒に見て、「できてる、できてる」と喜びました。これからは先生達と一緒に土寄せして、大きなお芋が掘れるといいなぁ!
嬉しい ― 2012/06/14 20:27
今週、来週と幼稚園には教育実習生が来ています。基本的には決まったクラスにずっと居るのですが、他の学年も1回ずつ入ってもらい、相対的に子どもの発達を見てもらおうと考えています。今日はその一環で、年少組に入ってもらいました。担任・補助・実習生と3人の先生がいたことになります。子ども達は大喜び。「先生がたくさんいると、嬉しいね」と、実にストレートに語ってくれました。そもそも人間は大勢で生き、力を合わせることで生き残り・発展してきた生物であることは間違い有りません。その記憶というか遺伝子のようなものが、しっかりと受け継がれて(埋め込まれて?)いることを感じました。そして、その言葉を聞き取り、記録に書いてきた先生がいることも、園長としてはとても嬉しく思います。
バザー御礼 ― 2012/06/17 19:17
保護者の皆様、昨日はバザーの開催並びに運営を、どうもありがとうございました。一部あいにくのお天気でしたが、それでも用意したものが品切れになる盛況で、子ども達にも、大人の方にも喜んで貰えたのではないかと思います。コンセプトから部屋の飾り付け・品物の陳列や動線など、毎年何処かが進化していると感じます。みなさんに苦労していただいた分、収益金をしっかり活かして、子ども達が楽しめるイベントや備品に使わせていただきたいと思います。また、バザーを進める上で、クラスのお母さん方の協力・人間関係も深まったのではないかと思います。終わったときは「あぁ、これは打ち上げに行きたくなるのも分かる」と、素直に感じました(園長が行きたいだけ?)。。。はともかく、バザーに関わって下さった皆様、雨の中をお客さんで来て下さった地域の方々、業者の方々、たくさん遊んでくれた子ども達、どうもありがとうございました。今日も、将来も、子ども達の笑顔がたくさん溢れる幼稚園にしていきたいと思います。
保育参観御礼 ― 2012/06/19 14:44
今日は、足下の悪い中、みなさん幼稚園にお出かけ下さり、ありがとうございました。特に年中組さん、先日のクラス会でお願いしたことをすぐに実行して頂き、ありがとうございます。園庭を安全に、広く使うことができると思います。◎さて、参観では「子どものいいところ」をいくつ見つけられたでしょうか。この「いくつ?」という問いかけが実は曲者で、ついつい「たくさん!」とか答えてしまいたくなりますね。なので問いを替えて、「どの瞬間、子ども達は輝いていましたか?」だったらどうでしょうか?椅子から振り返って、お母さんの顔を見たとき?それはそうでしょうけれど、「幼稚園の子どもとして」ですよ。ふふ。そして、お家ではぜひその時のお母さんの気持ちを、子ども達に返してあげて欲しいと思います。「あの時のあなた、とっても楽しそうで、お母さんも嬉しかったわよ」と。◎そうした、「お母さんの心が動いたポイント」として伝えていくのがいいと思います。そうすることで、先月の「園だより」でお話しした「習慣化」に繋がることでしょう。「子どもの為の参観日」である、という事をいったんお心に留めて下さいませ。
講演会を聞いて ― 2012/06/19 14:58
今日は参観後、講演会を行いました。お腹がすいたかも知れませんが、きっと実りあるお話を聞いて頂けたのだろうと思います。園量も最近になって、話を聞きながら「ああ、あの時の状況に似ているな」とか「あの先生が言っていたのは、これと同じことなのでは?」と考えられる余裕が生まれてきたと感じます。そんな意味で、私にとっても実り多い講演会でした。◎子どもに美しさなどの共感を育むには、700から800回、言葉をかけなければならない。数を比喩と捉えると、意味としては「いつも繰り返して」という事だと思います。「口を酸っぱくして」とよく言いますが、心地よい事でさえこの量なのですから、「耳障りな」事であれば、さらに繰り返し伝えなければなりませんね。強いインパクトを与えて回数を減らす…という可能性は無くもないのですが、「回数を重ねて伝える」方が平和なやり方ですね。◎ということで、ポイントのひとつは「共感は、育てることで身につく。時間も回数も猛烈にかかる。」同意、同意です。
講演会(言葉遊びについて) ― 2012/06/19 15:42
今日、印象的だったお話の1つが「言葉遊び」でした。NHK「にほんごであそぼ」で、かなり復権している感もありますが、子ども達は大好きですね、何の道具も必要なくて、すぐに始めてすぐ終わり、誰にもできて、勿論楽しい。「走れない子は何が悪いって、リズムが悪いんですよ」という話もありましたが、バランスの良さ、テンポの良さも、こういった遊びで培われるのだろうと思います。付け足し言葉もしりとりも、早口言葉も擬態語も。みんな子どもが好きな遊びです。◎今、小学生男子は「面白い子」が人気なのだそうです。きっと頭の回転も速いのでしょうが、こういったライトな遊びをたくさん知っている事も、人気の要素だろうと思います。◎しかし、私が心配するのは冗談を言いにくい雰囲気が何となく漂っている事です。私の出身「東京学芸大学」は、「東大よりも芸があり、芸大よりも学がある」と(半ば自嘲しながら)言っていたものですが、「今は受けないだろうね、。バカ言わないで下さいって、真顔で言われるよきっと」だそうです(寂しい)。◎子ども達は、言葉を覚えていく過程でいろいろ失敗します。基本戦略が「試行錯誤」なのだから当たり前です。聞き間違えをダジャレのネタにしたり、同音異義語をクイズにしたり。そんな「お試し」をする中で、言葉の使い方やセンスを学んでいるのだろうと思います。◎私も、年賀状で「今年も夜路死苦」と書いて、母親に直されました。でも冗談自体やダジャレは、よく聞いてくれました。「正解」はもちろん正しい答えです。しかし、「それ以外は無価値」ではありません。人生はテストではなく、むしろ「その見方があったか!」が楽しさでもあります。◎多分、子ども達はこれからも、試行錯誤しながら様々な学びをするでしょう。ストップする事は厳選して断固として止め、それ以外はイメージの膨らむ大きさと、遊び心を持って受け止めてあげて欲しいとおもいます。
子育ては生き直し ― 2012/06/20 07:52
さて、既に昨日となってしまった講演会ですが、一番印象深かったのが、この「子育ては生き直し」です。子どもという他人(自分ではない、という意味ですよ)に、赤ちゃんから関わることで、既に大人になってしまった自分の育ちの中で置き去りにしてしまったことを取り返せる、という事です。「あのとき、親にこうして欲しかった」という思い出を持った方がいるとして、同じような場面で我が子に対して、それを取り返してあげる。その事で生き直しができる、という話です。「虐待の連鎖」とか「貧困が世代を超える」という話を合わせ考えると、危なっかしいことなのかも知れませんが、「子育ては自分(の過去)に対するチャンス」でもあるんだなぁと思いました。そう言えば、以前カウンセラーの先生が「子育てしていると、どうしても自らの育てられ方に想いを致すことになります」と話していました。同じような状況にいるであろう我が子に対してケアしていくことで、過去の自分もケアされていく。これはきっと、子育ての根源的な価値なのだろうと思います。「先輩に奢って貰った、教えて貰った事を後輩に返す」ことで務めを果たす人間関係と通底するものがあるような気がします。おじいちゃん・おばあちゃんとしての孫育ては、3回目の生き直し。親だった時には夢中で見えなかった事が見える、とよく言われます。変な責任論に惑わされず、「私一人で生んだんじゃないからね」をテコに、いろんな人に子育てに関わって貰うのがいいのではないでしょうか。
先生達の研修会 ― 2012/06/20 20:03
今日は水曜日ということで、子ども達は早帰りですが、先生方は園内の研修会に参加して貰いました。テーマは「子どもの見とり」。子ども達の諸行動を、どう捉えるかという話です。その為の枠組みとして、今回は「応用行動分析」を選びました。詳しくは専門の方に譲りますが、先月から「園だより」でお伝えしているような「行動の結果を重視しましょう」という話です。◎大人も子どもも、ほぼ常時環境とのやり取りの中で、(無意識にせよ)行動を決定しています。子どもは試行錯誤ですが、もちろん過去の経験から「なるべく(本人にとって)有益な」行動を選んでいます。例えば「笑顔で聞いてくれる人には、どんどん話していく」「怒られそうなことは話さない」など。そんな、子どもが「本当に欲していること、または回避しようとしていること」に想いを向けながら、こちらの働きかけを考えていこう、コントロールしていこうという事です。日々数限りなく交わされる様々な行為を、分析的にじっくり見直すことで、子どもを理解しようという学問です。◎「園だより」にも書きましたが、「どうして、そんな事するの?」を少しだけ替えて、「何を目指して、それをするの?」という視点で見ることで、子どもの行動が立体的に把握できたらなぁ、と思っています。「子どものことを、冷静に客観的に見よう」という時にも、このような枠組みを持っていることは有効なようですよ。
最近のコメント