運動会御礼2012/10/06 21:36

 先程から、また強い雨が降り出しました。ドサドサといった感じで、正直「この時間帯で良かった〜」という感じでした。
 今日は幼稚園の運動会。世間の見方によっては「3連休の初日」だった訳ですが、子ども達の晴れ舞台に多くの方がお越し下さいました。本当にありがとうございました。9月に入ってから運動会の練習を始めますが、この時期にピークを迎えるのが、どうも子どもにとって丁度いいようです。充分な練習をしつつ気持ち的にもピークを越えない。昔から行っていることというのは、やはり一理あると感心してしまいます。
 各学年、それぞれ「らしさ」がよく見えた一日でありました。年少組さんが、周りの子や先生を一生懸命見て合わせてゆき、年中組さんが「周りにつられず」自分の踊りを表現し、年長組が競争の中にもお互いを気遣う様子が、それぞれ見られました。年長組の障害物競走は、普段の体操で行っている要素を取り入れていますが、基本的に「全員が同じ種目を行う」という条件の中ではなかなか高度なものが揃っていると思います。全員がもちろん勝ちたいと思っていますが、お互いの進路を予想しつつ走る姿は、私にとって非常に印象的でした。
 また、年長組の最後の踊りを見ていると、「本当に君たちも大きくなったなぁ」という事を改めて感じます。お母さんのお腹の中に居るときから知っている子が何人か居ますが、きりりと引き締まった表情で曲の始まりを待っている様子は、本当に感慨深いものでした。
 最後にもお話ししましたが、応援を貰えるというのは幸せなことです。それは共感してもらっているからです。今日だけではない、多くの方にいつも応援されているということ。これを忘れないで欲しいと思います。
 今日は子ども達、もう寝ていると思います。きっとメダルを枕元に置いている子も多いことでしょう。でもその輝きは、「貰ったよ!」と見せるその笑顔に如くことはありません。改めて、本日運営にご協力いただいた皆様、応援にお越し下さった皆様、そして騒がしかったであろうに、甘受して下さった近隣の方々に、御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

吉田先生講演会2012/10/10 21:30

 今日は、2歳児のお母さん中心の講演会。今年で3年目になるかしら、吉田恭子先生にお越しいただきました。
 時間帯が午後ということで、眠かったり妙に緊張したりして、子ども達もがんばったと思いますが、お母さん方も正直言って内容のもの凄く濃い話をどんどん聞いていらしたので、お疲れにもなっただろうと思います。途中でも仰っていましたが、「すぐ役に立つことしか話したくない」、その具体性をもち、科学的な根拠も引きつつ、大切な事をお伝えいただいたと思います。講演を聴くというのは、何冊もの本を同時に読むのと同じ効果があるなぁ、といつも思うのですが、先生は回を重ねる毎に内容が深耕されていく感じです。恐らく今晩、先生のブログのカウンターはうなぎ登りなのではないかと(笑)。
 でも、私が一番気になったのは、最後の「夫婦が仲良くなくてはね」という話でした。「夫婦が気持ちよく過ごせるために、どんな工夫をしていらっしゃいますか?」とか、みなさんに聞きたいほどでした。本当に、そういう家庭に帰れる子ども達は、幼稚園で多少の困難があったって平気で乗り越えて行けるだろうな、と思うのです。
 改めまして、先生・今日お越しのお母さん方・そして待っていてくれた子ども達に感謝申し上げます。明日もイイコトありますように。

そう団しよう、そうしよう。2012/10/12 21:38

 先日来、どうも夫婦を中心とした「家族」そのものへの視点関心というか、向き合うことができるようになってきました。
 現場としては、私自身の家族がある訳ですが、「幼稚園が、子どもを育てるだけではなく、家族そのものが育っていく触媒になれないだろうか」というような問題意識です。そういうのがあると、本屋さんでも自然と関係するものが目にとまるのですね。先日ご紹介した団士郎先生の『家族力×相談力』が、なかなか面白かったです。先生は元々、不登校とか問題行動と言われる子どもの家族に関わってこられた方で、その経験から、家族にとっての危険なコース・黄色信号のようなものを読み取り、いくつかのストーリーと回避策を述べられています。「ウチも該当するんじゃないかな…」と、おっかなびっくりだったのですが、「これが黄色信号だよ」と示してもらった事で(そして、自分が納得したことで)、回避していこうという決意ができた気がします。

思うに、吉田先生の講演にしても、団先生の提案にしても、昔は近所のおじさんやおばさん、年老いた父母が諄々と諭していたことではないでしょうか。それが断絶して、今の苦しみが一つ増えているような気がします。ああだから、私も老後は「小うるさい爺さん」になり、死んだ後に「そういえば、昔から耳にたこができる位、言っていたなぁ」と思われたいです。「夕日、きれいだね」が伝わるまで800回ということを思い出せば、遥か長い道のりですけれど。

大きな樫の木がありまして2012/10/15 19:50

今日は久しぶりのお御堂参り。小さい子達も単純に笑える物を、と探して「お話に飽きたお殿様」にしてみました。
 お殿様はお話が大好きで、いくら聞いても飽きません。そこで家来が「お殿様に話をして、飽きさせたらご褒美」とお触れを出します。そこへやってきた若者、どんぐりの話をしてゆきます。「…すると、木からどんぐりが一個落ちてきまして、ころころ転がって、池にぽちゃんと落ちました」「ふんふん、それで?」「そして、また次のどんぐりが一個落ちてきまして…」と延々と続くのです。延々と。ついにお殿様が「もう飽きた!」と投げだし、みんなで会食をするというお話。年少さんたちは何回やっても、同じシーンがくり返される度に爆笑。体をよじって笑いました。しかし年長さんは違いましたね。若干冷ややかな視線を送っていた子もいた程です。「まだ続くの?」という、大人感覚に近い感じでした。星の数よりも多いどんぐり、無限に終わることはありません。
 もしかすると子どもの話も、延々と「どんぐりが、どんぐりが…」と言っているように聞こえることがあるかも知れません。けれど、それを聞いてあげられるのは、最終的には家族。昔はお祖父ちゃんやお祖母ちゃんがその役を担っていたのでしょう。誰かに受け止めてもらって、また人の話も受け止めて。そうやって、お話のセンスが磨かれていくのだと思います。

部屋の中まで香ります2012/10/16 20:37

 今日は学年を越えての「縦割り保育」で、多くの部屋のパーティションが開けられ、普段は一緒に過ごさない子達の交流がたくさん見られました。そんな中、ことり組さんに入ると、ふわぁっと金木犀の香りがしてきました。すぐ外に植えてあるので、風向きによって運ばれてくるのですね。うっとりするような甘い香り。子ども達もきっと気づいたことでしょう。
 ところで、子ども達の匂いに関する語彙は、どの位あるのでしょうか。以前お線香の匂いがして「くさい」と言っていた子がいました。確かに物が燃える時の匂いの一つですが、不快なものとして捉えたのかしら…と思うと、少し心配です。動物の嗅覚は、腐敗などの危険を察知するために発達したのだろうと思いますが、感覚として未分化なのか、語彙が少ないだけなのか。どうなのでしょうか。子ども達には、少なくとも「おいしそう!」な匂いをたくさん経験させてあげたいですね。

園内研修第3回2012/10/24 23:09

Amazon.co.jpより転載
今日は、本年度第3回の園内研修を行いました。テーマは「応用行動分析」。と書くと強面なのですが、結局は「自然と先生方が行っていることを一般化して、フレームで見ていく」という事だと思いました。(フレームは考えを進めていく上で誘導というか項目・仮定です。)私たちは時として、「気になる子ども」という捉え方をしてしまいますが、それは余り意味のないこと。「気になる行動」を捉えることで、指導を組み立てていこうよ、というのが大枠の話だったと思います。確かにその通りで、「子ども」を変えるというのは途方もない話ですが、「行動の頻度を変える」というのは取り組んでいけそうです。そう言えば、どこかで読んだ話ですが「意識というのは余り役に立たない概念だ。”意識を変える””自覚を持て”というのは具体性がない」という考え方もありましたっけ。結構、ハッとさせられます。確かに具体的に解決できそうもない時に使う言葉かもと。ということで、個人的にもう少し勉強を進めようと思います。

みんなで作ったよ!2012/10/25 11:33

allaboutより引用
今日、年少組さんは「大学芋」を作っています。幼稚園の畑でとれた、さつまいも。たくさん葉っぱが繁っていたのを見た子達もいるでしょう。今まさに!職員室はいい薫りが漂っています。子ども達が準備したお芋は、職員室で先生方が調理します。料理によって、そして学年によっては最後まで子ども達の手で行うものもあるのですが、今日は先生達が、(かなり楽しんで)仕上げています。私は殆ど料理をしませんが、「食事を作る」というのは本来的に楽しい時間の準備なのだなぁと、先生方の姿を見ていて思います。毎日毎日・三度三度の事ではありませんが、これを食べる子ども達の顔を思い浮かべると、やはり笑顔になっていくなぁ…と思います。
 そういえば、これだけ安定的に食事が取れるのも、日本でさえ最近の話なのかも知れません。「江戸時代の食事」や「お寺で修行の時の食事」を思い浮かべると、その有難みを一緒に思い出します。まして家族揃って食べられる時期は、幼稚園卒園から徐々に減っていきます。「食育」の一端として「楽しく食べる・一緒に食べる機会を持つ」が挙げられているのは、確かに現状への問題提起なのだろうと思います。
 「みんなで作った!だからおいしいね!」。一手間でこんな言葉が飛び出すのなら、お家の食事の手伝いを(ハラハラしながら)頼むのも、またいいかも知れませんね。

お芋づくし2012/10/29 15:11

今日は、雨上がりの青空の下、焼き芋パーティーを開催しました。在園の子・たんぽぽぐみの子はもちろん、来年度の入園をお考えの方々にも何人かお越しいただきました。「パーティー」と呼ぶにはやや地味な印象を持たれる方もあるかも知れませんが、話せば長いストーリーがあるのです。
 子ども達が先週、川越まで行ってお母さんと一緒に掘ったベニアズマ。裸足で畑に入った子もいたので、爪の間に入った泥を一生懸命洗い流した子もいたでしょう(それも、大切な思い出)。今年は農家の方も驚くほどの肥えかたで、それを持って帰るのも大変だったと思います。年長さんは子どもだけですから、責任感を持ってお母さんへ渡したことと思います。その時1本ずつ御寄贈頂いたのですが、「細すぎると寂しいし、太すぎては焼けない」ということで、結構悩んで選ばれた方もいらっしゃったと思います。それから幼稚園で洗い直し、陰干しすること二日間。天気予報は良かったものの、昨日の雨も結構降りましたね。今朝は庭師さんが7時頃から火起こし。薪が湿っていて苦労したそうです。そして10時。子ども達が園庭に集まって、代表の年長さんが芋を入れました。下はボンボン火が燃えていますから、相当熱かったことと思います。そうして待って待って…ようやくみんなで食べる段まで辿り着きました。
 本来、どんな「食事」にも、そういうストーリーがあるのですが、それを知らないまま食べている事も、今では多いと思います。でも、それを知っている子達の「味わい」は、きっと格別だったことと思います。全部をお金で解決することもできるかも知れませんが、幼児期には出来ることは自ら体験することが大切だと思います。それを知った上で、お金を使うようになると、それこそ「お金の大切さ」まで学べるのではないかと思います(いきなり話が飛びました。この間『下流指向』を読んだので)。ともあれ、「食べる」という事を純粋に喜べる状況で食べる、即ちパーティーだった訳です。現代は披露宴でも忘年会でも「要するに飲み会・騒ぐ会」になってしまったきらいがありますが、今日のような集まりが持てた事は、とても幸せなことと思います。色々と支えて下さった保護者の皆様、どうもありがとうございました。