「がんばることを教えたい」2006/10/12 00:04

 私自身がそう発言した覚えはないのだけれど、私の紹介として、「がんばる事を教えたい」という言葉が使われていました。きっとインタビューアの方が、そんな事を解釈して下さったのだろうと思います。それがメディアにのって、とあるメルマガで批判がされていました。曰く「それは親がかりで子どもを頑張らせるという、教育家族の失敗の物語が、ここで、これから繰り返される家族の姿を見るからだ。」あらあら、ずいぶんな言われようですね。 恐らく、紋切り型の「頑張る子どもしか認めない家族→子どもが期待に応えられなくてパンク→問題行動」という想定をされているんでしょう。  やれやれ。子どもが頑張る時。それは、等身大の(つまり、丁度良い)目標を見つけた時です。もちろん、初めて行うことは「丁度いい」かどうか、分かりません。手探りです。そんな時、親が「がんばれ」と声を掛けた。これは、「さぁ行こうぜ!」程度のものじゃないのかしら?子どもが何かに挑戦する。その後ろ姿に何と声を掛けられるか?  大体、無理なときは動きませんよ、子どもは。本人がギブアップしたら、「じゃあ、今日はやめよう」という度量はありますよ、大抵の親は。相手は自分じゃないんだから。  問題は、「がんばらせる事」ではなくて、「自身の思い通りにならない事」を認められない度量の狭さでしょ。坊さんは、いつも言ってますって。「自分の思い通りにならない事、多いです。それが人生ですから」って。 …長文お付き合いありがとうございました。