スパッと切り替え2012/02/02 10:30

今日も寒い中、子ども達は園庭で遊んでいました。先生方も殆ど出て、走り回っています。そこへ、年長組の女の子が出てきました。「もうすぐ(10時)15分だよ〜」すると、リレーごっこをしていた子も、サッカーをしていた子も、すっぱりと遊びをやめ、入る準備をしだしたのです。勿論、今がお遊戯会前の忙しい時期だからというのもあるでしょう。しかし、「決まった時間を守る」という意識が浸透しているからこそ、このような光景が見られるのだろうと思います。家では、「もうちょっと〜」と言っている子も多いと思います(自分が子どもの頃もそうでした)が、幼稚園という場では幼稚園のルールを守る。素晴らしい姿だと思いました。みんな、当日はたくさん拍手が貰えるといいね!

鬼はどこから…2012/02/03 12:57

 今日は節分の集い、だったのですが私が慌てて「節分」ボードを忘れてしまいました。そうしたら、私がマイクを持つや否やすぐに「豆まき!」「節分!」の声が掛かりました。そう、今日はその話をしたいんだ。分かってくれてありがとう。そして、忘れてしまってごめんなさい。フォローしてくれてありがとう。少なくとも「節分」という言葉には、かなり触れてくれたと思います。さて、今日のお話は「鬼はどこから来るのかな?」という問いかけを軸にしました。勿論正解はないのですが、「昔の本を読んでいたら、心の中から出てくるって、書いてあったよ」とお話しました。善を行うか否か、価値判断とは結局行動様式に他ならないと思うのですが、一舜ごと(そして半ば無意識)に行っている事そのものが、心の表れとも言えるのではないかと思います。そんな「心の弱さ・ゆがみ」が鬼となって表れるんだよ。それが言いたいことでした。「鬼は追い出した」と言っても、またすぐに巣くう物です。それを自覚しながら、上手に飼い慣らせれば、それで十分なのではないかと思います。

分かった?2012/02/09 21:21

今日はPTA連合会の第3回講演会でした。「科学とは?科学的とは?」的なお話から始まったので、(男子としては大枠の話が好きなのですが)お母さん方にはちょっと取っつきにくかったかも知れません。とにかく知識と好奇心旺盛な先生、というのが私の印象です。「原発なくても需要はまかなえる。今すでに動いている原発は僅かですから」とか、「原発が担っている電気が3分の1って言ってるけど、その計算根拠知ってますか?」とか、なかなか刺激的な雰囲気も楽しかったです。    さて、その中で「分かった?」というセリフを使わない、という話はグッと来ました。国語教育の「大村はま」先生にも同じ言葉があるからです。「分かった?と聞くのは、教師の白旗。それ以上に手が出せないという現れなのです」確かそんな感じの文脈だったと思います。「分かった?」という投げかけは、どんな時にするでしょうか。先生である以上「自分の口癖?分かりません」というのは大問題ですし、気づかず「分かった?」と言っていたら重症です。それは脇に置くとしても、この言葉を言いたくなるのは、「もう、これ以上説明したくない・できない・切り上げたい」という教師の側の限界の時ではないかと思います。自分の学生時代もそうでしたし、子どもに教えている時もそうでした。     ただ、これもなかなか難しい問題だと思います。大人側の思いとしては「分かったなら分かった、そうでないなら分からないと言って欲しい」と投げかけている(つもりの)疑問文が、「切り上げたい」というメッセージとして伝わることで、思わず「分かった」という答えを誘発する結果になっているのが、このやり取りだからではないかと思います。相手が時たま「分からない」と言ってくれたり、自分から「分かった」と言ってくれるのであれば大丈夫かも知れませんが、こういったダブルバインドに陥っているとイイコトありません。教師や大人の側が「何の為にこのセリフを?言葉通りに伝わってる?」といった事を、時々チェックしなければならないのでしょう。ああ、そして。「分からないなら分からないって言って」よりも、実際大人の側が時々「うーん、分からない」という言葉を使ってみせることです。「分からない」という状態・シチュエーションを子どもに知らせてなければ、言葉だけ「分からない」と教えても使うことはできませんからね。

総練習 終了…!2012/02/17 12:42

昨日・今日と2日間にわたり、お遊戯会の総練習を行ってきました。衣装を着たり、大勢のお客さんの前で演じたり、スポットライトを浴びたりと、「初めて」の事がまだまだたくさんありましたが、まず本番同様の時間を過ごすことができました(運営側としては、時間の確認なども行いましたが)。やはり緊張感は相当のものだったようです。早口になってしまったり、動きが小さくなってしまった所もありました。しかし、まぁ生涯4〜6年の中で、初舞台に近い訳ですから「衣装をつけて舞台にあがり、精一杯頑張っている」だけで十分拍手を送ってあげたいものであります。 今年は、舞台天井にマイクを仕込んだので(放送局仕様です)、きっと奥の方にも声を届けられると思います。子ども達は、声を、歌を、姿を、曲を届けたいと思って演じます。どうぞみなさんも、体全体で受け止めてあげて頂きたいと思います。願わくば穏やかなお天気になりますように。

お遊戯会、ありがとうございました。2012/02/18 20:51

皆さん、お遊戯会には大勢の方にお越しいただき、ありがとうございました。そして、たくさんの拍手と笑顔を子ども達に送っていただいたこと、本当に有り難いことと存じます。子ども達が「独り立ち」に向けて頑張る姿を、しかと見ていただけたと思います。  それにしても…。一番最初にお話したのですが、今回の震災で、多くの子ども達が転園して友達と離ればなれになったり、遊具が流されていったり、園自体が休園になってしまったり、もう戻れなくなってしまったり…。そんな中で、こんなにも多くの方達に時間を割いて来ていただき、姿を見て貰えるというのは本当に有り難い事と思います。幼稚園が運営できること、そしてお遊戯会が開催できること、本当にいろんな条件が揃っているからこそだということを改めて感じています。お遊戯会の演し物は、全てが複数人で行います。一人ではやりませんし、できない事ばかりです。「一緒に踊った・演奏した・歌った」喜びを、子ども達も感じていたようです。子ども達が大きくなって、大学生や社会人として、東北の子たちと出会うこともあるでしょう。そんな時、「一緒にやろうよ!」と力を合わせられる、そんな未来の下地作りになったら、こんな嬉しいことはありません。

最後まで綺麗に2012/02/20 23:41

さて、「お疲れ休み」だった今日、私は気仙沼の幼稚園へ行って参りました。バザー・そして保護者の方々から支援をいただいた所です。私も現地を訪れるのは初めてでした。園舎についている時計は、2時47分で止まっていました。津波が園庭に押し寄せ、2艘の船と10数台の車が流されてきたそうです。預かりで昼寝していた子も職員の皆さんで起こし、パジャマだろうがパンツだろうが、みんな連れて避難したそうです。園舎には泥・瓦礫・汚水が入り込み、それはそれは非道い有様だったそうです…。  それが今ではすっかり取り除かれ、壁は高圧洗浄機できれいになり、「平成10年度卒園製作」といったモザイク画が、昇降口や廊下、ホールに並んでいました。写真を撮らせていただいていると、一人の女性がやってきました。「失礼ですが、幼稚園関係の方ですか?」「はい、園長ですが。」「勝手に入り込んで済みません。実は私、東京の明照幼稚園の園長です。」先方の先生は、すぐに思い出して下さいました。そして、少しお話をさせていただきました…(続く)

気仙沼(続き)2012/02/23 11:40

さて、園舎が綺麗になって、校庭もゴミが取り除かれていたのですが、実は「園舎は、やはりというか、年内に取り壊してもっと高台へ移転することが決まっています」というお話でした。でも!でも!みんなで力を合わせて園舎をきれいにしたんだそうです。それは、幼稚園が何より子ども達の思い出になる場所だからでしょう。明照幼稚園でも旧園舎を解体した時には相当の物が出ました。けれど、やっぱり最後に掃除をしたのです。「長い間、子ども達を雨風から守ってくれてありがとうね」と感謝の気持ちを込めて。ですから、解体が決まっていても最後は綺麗な姿にしてやりたいという気持ちは、とてもよく分かります。解体直前に、卒園生や関係者が「最後に」と思って見に来るかも知れません。その時の姿が、「僕たち、私たち」の幼稚園の思い出になるのです。津波が来なければ、きっとまだまだ使えた園舎であったとは思います。自然を恨んでも仕方ありませんが、「子ども達の思い出の地を、よいものとして守りたい」という熱い気持ちを感じました。園長先生はじめ、先生方もお住まいも被災したそうです。そんな状況下でも園舎を掃除している姿を思い浮かべ、改めて「これからもできる支援を継続していこう」と思いました。

お遊戯会を消化…2012/02/24 17:01

お遊戯会が終わってもうすぐ1週間ですが、子ども達の中では、まだ続いているようです。年少組さんでは、本番用の小道具を自由に使えるようになったので、みんなで好きな役になってお遊戯を踊ったり、振り回して遊びに使っています。練習中に周りの曲を聴いていたおかげで、どの曲でも踊れる子もいます。年中組でも、積み木をしていて「これは、田舎の鼠の家。こっちは町の鼠ね」と、ストーリーを補完するような遊びをしていました。大人にとってお遊戯会は、18日で終わるものですが、子どもから見たらそうではないのですね。これからもきっと、いろんなシーンで繰り返し出てきては消化されていくのだろうと思います。楽しそうにしている子ども達を見ると、「お遊戯会」が到達の場であったと共に、新たな遊びの材料になっていったのだな、と思います。

雪の朝、登園。2012/02/29 11:32

今日は未明から雪が降っていて、子ども達もお母さん方もみんな寒い中お越しいただき、ありがとうございます。しかし、その上さらに!お母さんって、有り難いですね。雪が降っていれば、当然子ども達は色々寄り道したくなります。普段でさえあちこち見ながら、引き寄せられながら歩いているのですから、雪となれば尚更でしょう。そして、私は気づきました。お母さん方が、「早く行きたい」という気持ちも強いでしょうに、「子どもに付き合い、寄り添う」心で来て下さっていることに。園庭の滑り台に溜まった雪をいじる子ども。その子に傘を差し掛け、待っているお母さんの姿に、私は打たれましたよ。本当に、ありがとうございます。東京では年に数回の事です、良い方に捉えられるのであれば、それがシアワセに続くと思って、お付き合いいただければ幸甚です。